ときがね九十九里(元ときがね片貝幼稚園)

7月8日(水)15:00~、元ときがね片貝幼稚園の跡地を利用した地域コミュニティの活性化の取り組みについて、「ひとりひとりのトランジション・タウン」活動を進めている立場から、一つの提案をさせて頂きました。

結論は出ませんでしたが、本件の責任者の方が現在進めているNPO法人 ときがね九十九里 のビジョンを表現したリーフレットを頂いたので、その内容をご紹介したいと思います。

ときがね片貝幼稚園が3月で閉園となり、学校法人も解散となりました。
その後を引き継いで、今NPO法人を設立しようと準備しております。
目的は、
<廃園となったときがね片貝幼稚園の園舎及び跡地を利用し、幼稚園関係者及び九十九里町内外の方々と協力しながら、地域支援、教育活動、国際交流、文化活動を実施することで、九十九里町の地域コミュニティの活性化に寄与すること>
です。

1954年九十九里町に住む一人の方が自分の子どものために幼稚園を造りたいとの思いが最初の一歩でした。 東金のときがね幼稚園に協力を求め、九十九里町に幼稚園ができ、最初の一年は <まこと幼稚園>、そして昭和合併でできた九十九里町に、ときがね幼稚園の分園として <ときがね片貝幼稚園>が発足しました。

これからは、九十九里町の誰もが集うことができる、<憩いの場>となるように願って、今NPO法人設立に向けて準備を進めております。

NPO法人ときがね九十九里では、以下のような取り組みを考えています。
 1)カフェ週2回程度、総菜・農作物の販売
 2)高齢者の方のなんでも相談
 3)不定期:イベント、ライブコンサートなど
 4)ヨガ教室
 5)できれば、学習支援などなど
 6)建物・園庭の利用:誰でも自由にお貸しします。

当日は、私の考えを一通りお話しさせて頂いた後で、このNPO法人化の取り組みについて簡単にご説明頂きました。

理想はあくまでも理想として、運用資金などの現実的な面についてもお話しがあり、今の社会がどのような仕組みで動いているのかを理解しなければ、理想とするものには到底近づくことはできないと思います。

しかし、「今の社会の仕組みはこうだ!」と一言で説明することは至難の業です。 その理由の一つは、「社会は、ひとりひとりの頭の中にある幻想の組み合わせから成る たい焼きの型(概念フレームワーク)」であり、「たい焼きそのもの(概念フレームワークからつくられる社会の実体)は、ひとりひとりの行動(実践フレームワーク)によるもの」だから、と私は思います。
ここで、誤解を招くと良くありませんから少し補足すると、同じたい焼きの型から生まれた たい焼き(実体)は、形は同じでも中身は同じものとは限らない という点に注意してください。

こちらの地域で、以前は「トランジション・タウン 九十九里町」という活動を細々と続けてきましたが、これまでの活動結果を踏まえて「ひとりひとりのトランジション・タウン」というキャッチフレーズに変えた一つの理由はそこにあります。

一方で、ネットワーク理論の入門書などを読んでみると、「なぜこうなるんだ!?」と言ったことはさて置き、「今はこのようになっているぞ!」と言ったものが見えてきます。
AIが表舞台で活躍するようになってきた今では、このようなネットワークの可視化(目に見えるようにすること)が可能です。

細かいことは別の機会にお話しすることにして、可視化された地域ネットワークの形を調べることにより、一つの判断基準が見えてくる可能性があります。
それは、例えば「この地域では、”こんなことをしたい!” を実現することは難しいが、”あんなことをしてみたい!” の実現は上手く行くかも知れない」ということです。

裏を返せば、「”地域でこんなことをしたい!” ならば、”それに適した地域でやるのが良い”」です。 (実際に、私はそのような事例を幾つか知っています)

”それができるならば苦労はしないよ” と言った声が聞こえてきそうですが、
「それならば、昔の作物づくりを見習って ”土づくり” 、”種づくり” からはじめるか、さもなければフレームワークが用意できたことだけで、自分の価値を自分自身で認める(自己承認欲求の充足)他にないよ」ということになると思います(お金を使って ”土づくり” や ”種づくり” の手間を吹っ飛ばすというやり方もあるでしょうが、これは本件とは別の考え方、やり方なのでここでは触れません)。

私の場合は、既に余生を過ごす道中にいるので、たとえ ”こんなことがしたい!” を実践できなくても、”まあ、自己満足でいいか” となりますが、様々な可能性を秘めた若い世代は、それでは満足できないでしょう。

ただ、私のような者は、そのような若い世代に対して “土” や ”肥し” の役を果たすことが以前は当たり前の習わしになっていたように思います。 これは、”自己満足しているならそれはそれで良いが、できればそれが他者の満足に繋がって欲しい” という欲求で、マズロー的に表現するならば ”利他の精神、社会貢献、次世代への還元(自己超越欲求)” でしょう。 敢えてそのような言葉を使わなければならないとしたら、昔風コミュニティの崩壊と共に、欲求の階段が崩壊してしまったと考えられるのかも知れません。

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