前回のエッセイで、ドーキンス氏の「利己的な遺伝子」に触れましたが、その後「進化とは何か ドーキンス博士の特別公演」という本の中に、今までの私の誤解を解くような一文が掲載されていたのでご紹介します。
『 ”悪魔に仕える牧師” の中で、あなたは「自然選択は、高度に集約され組織された生物という機械を作るために、 ”協力する遺伝子を優遇する” とおっしゃっていますが、では、社会のほかのメンバーに対して ”協力的な” 態度を示す個体のほうが、生き残る可能性が高いというふうにも言えるのでしょうか。
ドーキンス:
ええ、それが ”利己的な遺伝子” の主要課題でもありました。 利己的遺伝子は、協力的な個体を作り出すのです。 ”利己的な遺伝子” の中で、「だまされやすい人 vs だます人」の例を用いてゲーム理論を説明し、「やられたときだけやり返す」ようないい人はとてもうまくいくことを示しました。 その章に「気のいい奴が一番になる」という見出しをつけたのは、利己的な遺伝子は利己的な個体を作る、という短絡的な思い違いを正すためです』
いかがでしょうか。 「生命は利他的であるよるよりも前に利他的である」という、前回の動的平衡から導き出された考えは、生命の源である遺伝子に、「自然選択」が作用したことによるものと置き換えることができると思います。
さて、ここから先は私の独断と偏見によるものです。
私は、古い時代のコンピューター・プログラマーなので、はじめてプログラミングを行ったときに使用したプログラミング言語は機械語と呼ばれるものでした。 その後、C言語をはじめとする所謂高級プログラミング言語を使用するようになりましたが、私が手掛けるプログラムは、俗にファームウェア(組み込みプログラム)と呼ばれる部類のものです。
このコンピューター・プログラムは、例えるならコンピューターの遺伝子と考えることができます(自然選択の対象ではありませんが)。 このことから、もしもこのプログラムに自然選択を作用させることができたとすると、自然界の有り様に適応するコンピューター(=機械)が実現できそうな気がします。 もっとも、そのような手間を掛けなくても、今ではAI(人工知能)がそのような方向性をもつように思います。
話が横道に逸れてしまいました。 私は現在、城西国際大学(JIU)の市民未来大学 ヘルスプランナーコースを受講しています。 このコースでは、卒業後に多様な「通いの場」におけるヘルスプランナーとしての活動が期待されています。 例えば、住民主体の交流の場(健康体操教室の立ち上げ等)、コミュニティカフェ、デイサービスボランティア、運動・栄養・口腔ケア等の教室開催などです。
しかし、コースが進むにつれて、私の興味はむしろトランジション運動との接点を求める方向に動き始めました。 その結果、この夏休み中にはJIUに対して「新しいコミュニティづくり」の方法を提案しました。 そして、この提案の内容をより具体的・実践的なものにするためには、「利己的遺伝子は、協力的な個体を作り出す」といった考えが重要であり、今回はこの点を明確にしておく必要がありました。