先日、図書館で手にした本のお話を少ししましたが、その本の中でリチャード・ドーキンス氏が提唱した「利己的な遺伝子」に触れていたので、その一部をご紹介したいと思います。
『20世紀の生物学を席巻したリチャード・ドーキンス氏の利己的遺伝子論によれば、生物の唯一の目的は自らの遺伝子の複製であり、この目的のためにすべての生物は利己的に、生存競争を勝ち抜こうとしているという。 しかし、生命進化のプロセスをただ適者生存というキーワードだけから見ると、生命の持つダイナミズムを見失うことになる。 食う・食われるも弱肉強食という支配・被支配の関係ではなく、同じ生態系が共存するための利他性であると捉え直すことができる。 食われる側は、食われることによって増えすぎることが制限され、食う方も食われる者があって初めて生存が可能となる。 たくさんの卵や幼生が他の生物の餌となるのは実は利他なのだ。 生命は利己的であるよりも前に利他的であり、利他的な行為が進化を大きく飛躍させた』
私は、若い頃にリチャード・ドーキンス氏の著書「利己的な遺伝子」を読んで、かなりのショックを受けた覚えがあります。 「私は何のために生きるのだろうか」、そんな疑問を学生の頃から持っていたので、なおさらのことであったのかも知れません。
今回得た新しい気付き、つまり「生命は利己的であるよりも前に利他的であり、利他的な行為が進化を大きく飛躍させた」は、今までの呪縛から一瞬解き放たれたような気持ちになりました。
しかし、問題は未だ解決されていません。 何故なら、利己的あるいは利他的とは無縁と思われる小さな私たちが、私のからだを形づくり支えているからです。
先の本では、別の視点からこの問題について触れてたので、少しご紹介しておきます。
『進化の過程で、人間だけが、すばらしいものを発明することができたからだ、言葉である。 言葉は、第一にはコミュニケーションの道具である。 しかし、それ以上に、人間を、自然の掟から自由にする道具でもあった。 言葉は、物事に名前をつけ、概念化する力がある。 世界を構造化する強力な作用を持つ。 言葉のおかげで、人間は、種の保存という、遺伝子の命令の存在を知った。 同時に、その命令を相対化することに成功し、そこから個の生命の自由を勝ち取ることができた。 これが「いのち」が輝くことの起点になる。 ゆえに私たちは言葉による認識を大切にしなければならない。 一方で、大事なことは、言葉を過信してはいけないということがある。 言葉は、私たちを自由にしてくれると同時に、人間存在を縛るものでもある。 そして、あらゆる自然をすべて言葉の力で制御することはできない。 私たち人間は、地球生態系の一員であると同時に、言葉を持った特殊な生物なのだ。 この相克をどう解決して生きるべきなのか。・・・』
この本の著者は生物学者なので、上記の問題(この相克)を、より深い視点で捉えていると思いますが、例えば「アリの行動に知性を感じるのは、観察者自身の知性によるものである」という考え方は、私たちがいかに巧みに言葉を操ることができたとしても真実に触れることはできない、ということを示唆するものです。
結論として、利己的な遺伝子と利他的な生物は、どちらも人の脳が作り出した幻想に過ぎないと私は思うことにしました。 人が現代社会における脳の使い方を続ける限り、映画「マトリックス」で取り上げられている仮想社会の存在を、その外側の世界から眺めることはできないのかも知れません。