はじめに、トランジション・タウンについては Wikipediaに詳しく説明されているのでそちらをご覧頂くことにして、トランジション・タウン 九十九里町がどのような経緯で産声を上げたのか、改めてお話したいと思います。
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震で、地震による大きな被害は勿論のこと、福島第一原子力発電所の事故により大気中に放出された放射性物質の影響で、ある時点を堺にしてこちらの放射線量がほぼ2倍に増加したことは当時のブログに記されています。
このような状況の中で、未成熟な社会から突き付けられた様々な問題に対して、私のような無力な一住民でも、こちらの地域で何か役に立つる内ことができないかという思いでいたところ、偶然にも手にした一冊の本から、英国のトットネスで始まったトランジション・タウン運動のことを知りました。
はじめの頃は、トランジション・タウン運動を新しい地域経済(復元力のある持続可能な地域社会経済)の創生と捉えていたのですが、学びを続ける中でその根幹に位置するものは「健全なグループ」であることがわかりました。 詳細は、当ブログの「資料室」に保存されている「エッセンシャル・ガイド」をご覧頂くことにして、トランジション・タウン 九十九里町とは、いったいどのようなものでしょうか。
2019年12月に産声を上げたトランジション・タウン 九十九里町は、前述したトットネスの取り組みを真似て、地域経済の青写真、リコノミー・センター、そして地域起業家フォーラムの3本を柱とする、新しい地域経済の創生を目指していました。
しかし、立ち上げ時から5年余りの時が経過する中で、現時点のトランジション・タウン 九十九里町が取り組むべき対象は、前述したように「健全なグループ」の育成であると考えるようになりました。 そこから、私は出会いの機会に恵まれた方々に対して、トランジション・タウン 九十九里町が目指すところは「一人、一人のトランジションです」とお話しすることにしています。